河瀨直美監督には刺青がある?その理由は壮絶な生い立ちが関係か?

映画監督として海外からの評価も高い河瀬直美監督。

6月3日からは2021年の東京オリンピック開催までを追いかけた東京五輪公式記録映画が公開されることが話題になっています。

以前には、この映画の制作を追いかけているNHK密着特集番組にて不適切な字幕を掲載してしまったことで世間から批判を受けたことも記憶に新しいところ・・・

また、最近はこの映画の撮影中の河瀬直美監督のスタッフに対する暴力があったとの報道もあり、その真偽が注目されたりしています。

とはいうものの、私自身、スポーツ好きということもあり、いろんな紆余曲折を経て、ようやく映画が公開ということで注目している映画ではありました。

この映画の監督をしている河瀬直美監督に対しても、特にこの映画の製作の過程の中で称賛もあれば言動に対する批判もあったりとかなり注目はされていたと思います。

そういったことから、私も気になって河瀨直美監督について調べていると「刺青」という言葉がチラホラ出てくるのです・・・。

私の河瀨直美監督の印象と言えば、もともとおしとやかでありながら芯の強い女性と言った感じだったのですが、「刺青」ってどういう事?

気になって調べてみました。

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河瀬直美監督・ドキュメンタリー映画で自身の背中に刺青を入れていた!

河瀨直美監督と刺青という言葉がどうつながっているのか?

それは、何と河瀨直美監督自身の背中に刺青が彫ってあるという事実でした。

ちょっとこれは衝撃的だった・・・

河瀨直美監督が刺青を入れている姿は、こ自身が監督・撮影・編集、そして出演もされているドキュメンタリー映画「きゃからばあ」に記録されています。

何故、河瀨直美監督が刺青を入れることになったのか?

気になったのでもう少し調べてみたところ、河瀨直美監督の生い立ちは壮絶なものであったことが分かりました。

その生い立ちと刺青がどう関係しているのでしょうか・・・?

それでは見ていきましょう・・・。

 

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河瀨直美監督の壮絶な生い立ち

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河瀨直美監督は1969年5月30日生まれ、奈良県奈良市紀寺町出身です。

ただ、河瀨直美監督は母親の愛情を知らずに育ったという・・・

まだ河瀨直美監督が母親のお腹にいるころに両親が別居、生後1歳のときに離婚されています。

そして河瀨直美監督は母方の祖父の姉夫婦に当たる養父母に預けられ、育てられたとのこと。

養父母にはとても愛情を注いでもらって育てられたとのことですが、実の母親も参観日や運動会には来ていたそうです。

ただ、河瀨直美監督にとっては「たまに遊びに来る人」という存在だったようで、大きくなるにつれて、河瀨直美監督自身も自分の置かれている環境が特殊であることに気づき始めたそうです。

中学2年制の時に養父が亡くなり、寂しさも手伝って、心が不安定になりがちになり、校則を破ったり、悪い子たちとも遊ぶようになっていました。

そんな河瀬直美監督を救ってくれたのがバスケットボール。

彼女はバスケットボール部でキャプテンをつとめ、何と国体にも出場しています。

先生に勧められて始めたそうですが、ここで彼女はチームでつながることの大切さを教わったとのこと。

両親の愛情を知らずに育ってきた河瀨直美監督にとって、誰かとつながることが出来たこのバスケットボールの存在は大きかったのではないでしょうか?

また、キャプテンとしてチームをまとめてきた経験は、現在の映画監督としての仕事にもどこかで生かされているのかもしれませんね。

ちなみに河瀨直美監督は2021年に女子バスケットボールのWリーグの会長に就任されています。

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河瀨直美・養母を養うために映画の専門学校に進学

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バスケットボールで国体に出場するほどの実績を持っていた河瀨直美さんにはバスケでの大学の推薦や実業団への誘いもあったそうです。

しかし、彼女はバスケットボールの道を選ぶことはしませんでした。

高校時代に国体に出場した最後の試合で河瀬さんは、突然湧き上がった思いがあったようです。

「時間が止められない。そう思ったら、えもいわれぬ涙が出てきたんです」

(中略)

「私は現役にこだわった。バスケは、引退後の人生のほうが長い。だったら、生涯現役でいられることを目指したくなりました」

引用元:女性自身

河瀨直美監督はこの試合で刻一刻とタイムが過ぎてゆくのを感じて涙が止まらなくなったそうですが、負けて泣いているのではありませんでした。

時間が止まらない無常にぼう然としてしまっていたのだそうです。

そして、この感情がなんであるのか…その日から考え続け、そして出会えたのが映画でした。

河瀨直美監督は、その後、大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校・大阪)に進学しました。

ビジュアルアーツ専門学校は、写真、放送・映画、ダンス、音響芸術、ミュージシャン、マスコミ編集、声優、映像音響などの学科がある専門学校です。

河瀨直美監督は建築にも興味があり大学進学も考えたそうですが、贅沢はできず、養母を養うためにも専門学校の道を選んだそうです。

彼女はこの学校の映画科コースで映画について学んでいきました。

もちろん映画の知識は全くなく、タランティーノって誰?」という状態だったとか・・・

そんな河瀬直美監督に授業で8ミリ映写機を扱ったとき、

「撮ったものが、後で再現できる。これってタイムマシンだ! バスケでは止められなかった時間が映画なら永遠にここにとどめられる。世界を美しい方向に再構築できるんだ!」

引用元:女性自身

と衝撃が走ったとのこと。

河瀨直美監督は自身のインスタグラムで、映画との出会いは奇跡だったと語っています。

それは、映画は刻を巻き戻すコトができたからです。


映画に出逢った。
奇跡でした。
私の言う『刻』は『感情』かもしれません。わたしはその感情を刻むことで、映画に昇華し『永遠』をカタチ創る。そして、共有する。

引用元:naomi.kawase インスタグラムより

河瀨直美監督は専門学校で映画を学んだ後、映画製作会社に就職したものの、その後、母校である専門学校に戻り、講師をしながら映画製作を始めました。

河瀨直美監督はバスケでは止められなかった時間を映画では永遠にとどめておけるという話をしていました。

何か「時間」という概念を大事にしている印象を受けました。

河瀨直美監督は「刻」と表現されていましたが、またその「刻」は「感情」であるとも語っています。

映画監督としてドキュメンタリー映画を多く手掛けられているのは、大切な時間と感情の記録を残していきたいという思いが監督自身の中に強くあるのかもしれないですね。

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河瀨直美監督・父親探しのドキュメンタリー映画がやばかった!

大阪写真専門学校の講師をしながら河瀨直美監督はドキュメンタリー映画を製作を始めていきました。

その作品がまたやばかった・・・

河瀨直美監督は数多くのドキュメンタリー映画を製作されているのですが、その中でも注目を集めたのが、

「につつまれて」

「きゃからばあ」

これらの作品は、両親と離別して養父母に育てられてきた河瀬直美監督自身が、父親探しをしていくところから始まるドキュメンタリー映画となっています。

他の誰かに密着して追いかけていくドキュメンタリー映画はよく見ますが、自身の事を映像記録に残していくセルフドキュメンタリー映画という事を考えた河瀨直美監督ってすごいなあ・・・

河瀨直美監督曰く、「自分にしか撮れないものは何か?」というのを考えた時に出てきた答えが「父親探し」だったとのこと。

「につつまれて」では、カメラを手に、記憶にすらない父親を戸籍謄本から辿っていって、父親に関する証言を取材して歩きながら、最後には実の父親にたどり着くという内容。

この作品が河瀬監督の実質的なデビュー作品。父親に対して電話で泣きながら話すシーンが印象的です。

「きゃからばあ」はスイスの映画祭で出会ったフランスのプロデューサーから「君は『につつまれて』の続編をつくるべきだ」という熱心な働きかけがあって製作されました。

再び家族と向き合うことになった河瀨直美監督ですが、冒頭から「父親は1年前に亡くなっていた」というまさかの展開。

河瀬直美監督は自身も離婚を経験していて、家族のあり方や自分という存在に対して葛藤していきます。

そして衝撃の決断をするのですが・・・

それは父親が入れていた刺青と同じものを自分の背中にも入れること。

父親とのつながりを確信するために刺青を入れることを決心しました。

しかも最近流行りのワンポイントのタトゥーとかというものではありません。

背中一面に彫られた本格的な刺青です。

ここで紹介できる画像はありませんが、この作品では河瀨直美監督が時折、痛がる素振りを見せながら彫師によって背中に刺青を彫られているシーンが記録されています。

そして、観音菩薩のような刺青を背中に入れた河瀨直美監督が全裸で走っているシーンは衝撃的なものでした。

この映画は2001年ロカルノ国際映画祭プレミア上映で“最高傑作”と賞賛されました。

この映画を見たヨーロッパのあるマスコミは「河瀬は狂っている」と見出しにしたそうです。

自身の背中に刺青まで入れるなんて・・・まさに狂気と言っても過言ではありません。

特殊な環境の生い立ちで、孤独も味わいながら育ってきた彼女なりの葛藤が色々あったとは思いますが、刺青を入れるという選択は普通はしませんから・・・

映画監督として、表現者として評価される所以なのかもしれませんね。

彼女をそこまでの行動に駆り立てる河瀨直美監督が生きてきた人生は、私達の想像を絶するものだったのかもしれません・・・。

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河瀨直美監督・家族とのつながりを記録した映像作品

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河瀨直美監督は1997年に映画監督の仙頭武則さんと結婚されています。

しかし、その3年後に離婚。

そして2004年に一般人の方と2度目の結婚をされ、息子さんの光祈(※祈の字体は、示へんに斤)を出産されています。

その後、河瀨直美監督は、息子さんが2歳になるまでは育児中心の生活を送っていました。

また、ここでも河瀬直美監督は衝撃の作品を製作していました。

それは自身の出産シーンの映像を記録にしているという事。

「子育てを通して、逆にすごく世の中が見えた。町や公園、自然のなかを子どもと歩いて回ります。そこにはいろんなものが存在し、生きている。生を営んでいるんです。この感覚をこそ表現の世界に昇華できるといいなと」

引用元:女性自身

その作品が「垂乳女(たらちめ)」。

河瀨直美監督の出産は、自宅の畳の部屋で、映画スタッフなどに囲まれながら行われていました。

その出産の様子を記録し、命と命のつながりを描くドキュメンタリーとして昇華させたのがこの作品でした。

自分自身の出産シーンを作品にしてしまうなんて・・・すごいですね。

また、河瀨直美監督のドキュメンタリー映画には養母の河瀬宇乃さんがよく登場しています。

「かたつもり」という作品では、家を出ていった父母に代わって自分を育ててくれた河瀬宇乃さんが、裏の空き地に小さな家庭菜園を作ってえんどう豆を育てたり、河瀬直美監督の小さい頃の思い出話をする平穏な日常を記録しています。

養母の河瀬宇乃さんは、2012年に97歳で他界されました。

生まれて間もなく両親と離別した河瀬直美監督にとって宇乃さんはかけがえの無い存在でしょう。

宇乃さんが愛情を注いで河瀬直美監督を育ててくれたから今の彼女があると思います。

今、河瀨直美監督は今のご主人と息子さんの3人で暮らしているそうです。

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壮絶な生い立ちの河瀨直美監督が見せる東京五輪ドキュメンタリー映画に注目したい!

河瀬直美監督は自分の事をとことんさらけ出すこともいとわず、セルフドキュメンタリー作品を製作してきました。

包み隠さず人間の姿を追い求めていく姿勢は、彼女の壮絶な生い立ちや葛藤があったからだと思います。

それにしても、まさか自身の背中に刺青を入れた様子や出産シーンを作品にしてしまうなんて・・・

彼女のする事はぶっ飛んでいる!

そんな河瀬直美監督が製作している東京五輪のドキュメンタリー映画。

この映画は第75回カンヌ国際映画祭オフィシャルセレクションのクラシック部門(カンヌ・クラシックス)に選出されています。

NHKの不適切字幕の問題、暴力報道など、何かと批判の話題もありますが、ここではあえてそこに触れるつもりはありません。

それよりもこんな壮絶な生い立ちで生きてきた彼女が製作するオリンピック映画がどのようなものになっているのかが見てみたい。

この映画次第で河瀬直美監督に対する世間の声も大きく変わっていくようにも思います。

今後の河瀬直美監督の動向にも注目しながらこの映画を見たいと思います。

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